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昇龍圏からの核融合@雅没徒最終本家02

昇龍圏からの核融合@雅没徒最終本家02

1970年

1970年というのは 大阪で万博が開かれた年でした。
1969年には世間を騒がせた東大安田講堂事件があり、
言論や表現の自由が次第に脅かされていき
日米安保条約の自動延長をめぐって社会が騒然としていました。
高度成長の時代で、電化製品が普及し生活がどんどん便利になっていきました。

この年名古屋では FM愛知 が開局し、
いろんな音楽が手軽に聞けるようになりました。
オーディオはまだそんなに普及していなかったので、テープはオープンリール 
エアチェックもそんなに簡単ではありませんでしたが 
それでも音楽が身近な存在になりました

 

前の年の10月5日に発売された 黒ネコのタンゴ(皆川おさむ)
が、70年にはいっても独走を続け14週連続の1位。

これを止めたのが 逢わずに愛して(内山田洋とクールファイブ) 69年12月5日発売 

このころの曲は発売されてから、
じわじわチャートを上がってくるのが普通だったんです。

 

ついで、ややポップス調の 白い蝶のサンバ(森山加代子) に続いて

圭子の夢は夜ひらく (藤圭子) 70年4月25日

いやあ、宇多田ヒカルのおかげで随分有名になりましたね。

この年案外演歌は低調なんですが、この曲と 女のブルース で孤軍奮闘してます。

その後ポップスや洋楽のヒットが続き下半期最大のヒットとなったのが

京都の恋 (渚ゆう子) 70年 5月25日

ベンチャーズの作曲で、発売されたのは5月だけど、チャート上位に登場するのは
10月になってからで、11月9日に1位となり、以後年内は1位を独走しました。

しかし作曲者が外国人であるため、テレビの ベストテン番組には出演できませんでした。

 

レコード大賞は 今日でお別れ(菅原洋一)

 

手紙(由紀さおり)などもなかなかの名曲だった。

 

この時代は洋楽がけっこう強くて、しばしばチャートに登場するんだけど

ラブマの件でよく話題になる ヴィーナス(ザ ショッキングブルー) と

マンダムのCMでおなじみの 男の世界(ジェリーウオーレス)などが
チャート上位に進出しました。

J-POPの源流 ともいうべき日本のフォークは深夜放送やFM放送では人気がありましたが
まだ相対的にレコードの高価な時代でしたからチャートには登場しませんでした

よしだたくろう が イメージの詩 でデビューしたのがこの年でした。

 

紅白 1970年
この年の紅白で歌われた曲で はっきり歌詞やメロディーを覚えているのは・・・

(初)日吉ミミ/男と女のお話       ♪恋人に ふられたの・・・

(4)森山加代子/白い蝶のサンバ  ♪あなたに抱かれて私は蝶になる・・

(3)ピンキーとキラーズ/土曜日はいちばん  ♪土曜日は 土曜日は・・・

(初)トワ・エ・モア/空よ    ♪空よ ・・・  (ヘ長調)

(初)藤圭子/圭子の夢は夜  ♪赤く咲くのはケシの花・・・

(初)にしきのあきら/もう恋なのか   ♪恋というもの知りたくて・・ (変ロ長調)

(初)ちあきなおみ/四つのお願い  ♪四つのお願い聞いて・・・

(2)いしだあゆみ/あなたならどうする   ♪泣くの歩くの死んじゃうの・・・

(2)由紀さおり/手紙    ♪涙でつづり終えたお別れの手紙・・

(4)菅原洋一/今日でお別れ   ♪今日でお別れね もう会えない

 

カラオケで歌えそうなのはこれくらいですね。 
でも個性的な曲が多かったとおもいます。


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